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キング牧師 | おはなし | ゆめある

おはなし

キング牧師

黒人差別の撤廃を訴えた指導者「キング牧師」の人生を描いたストーリー動画です。

くわしくみる

  • 文章:東方明珠
  • 朗読:川本知枝
  • 絵:紺島

本文

「I have a dream――わたしには夢がある。
いつの日かわたしの四人の幼い子どもたちが肌の色によってではなく、 人格そのものによって評価される国に生きられるようになるという夢だ。」
キング牧師は1929年に生まれ、アメリカで暴力を用いずに人種差別と戦いました。

かつてアメリカ大陸には、アフリカから多くの人が黒人奴隷として連れてこられました。
1863年にリンカーン大統領が「彼らは自由だ」と宣言しましたが、南部の州では変わらず差別が続いていました。

キング牧師のフルネームは、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア。
マーティンは、アメリカ南部ジョージア州の牧師の家に生まれました。
6歳のときです。
「うちの子と遊ばないでちょうだい」
友だちのお母さんがこわい顔をして言いました。
生まれて初めて受けた人種差別でした。

頭のよかったマーティンは13歳で特別に高校生となり、15歳で大学へ入学しました。
そして、お父さんと同じ牧師になりました。
妻と子どもたちと幸せに暮らしていた26歳のとき、市内のバスの中で事件が起こりました。
一人の黒人女性ローザ・パークスが席に座っていると、運転手が言いました。
「白人に席をゆずれ」
当時のバスは前四列が白人専用で、後ろの席も混んでいるときは白人にゆずらなければいけない決まりがありました。
「いいえ。わたしは立ちません」
すると警察がやってきて、ローザは逮捕されてしまいました。

「みんな、バスに乗るのをやめるんだ」
キング牧師は黒人たちに暴力なしの抗議を呼びかけました。
インド独立の父ガンジーの非暴力、不服従を見習おうと思ったのです。
黒人たちはキング牧師に従いました。
バス会社はお金がもうからなくなり、白人たちはあせりました。
「すぐにやめるんだ。やめないとひどいめにあわせるぞ」
しかし、キング牧師はあきらめません。
「暴力は憎しみを増すだけだ」
バス・ボイコット運動はどんどん広がっていきました。
黒人たちは雨の日も風の日もひたすら歩き続けたのです。
そして一年後――。
「人種によって差別するのは間違っている」
とうとう裁判所が誤りをみとめました。

その後、キング牧師は黒人の権利を呼びかけ、各地を飛び回りました。
「わたしたちも参加します」
いつしか仲間が増え、子どもたちもデモ行進に加わりました。
ところが、白人警察は手かげんなく棒で叩いたり、高圧ホースで水をかけたりしました。
無抵抗な黒人をいためつける様子はテレビや新聞で全国に伝わりました。
「なんてひどい」
「もう争いはやめて」
「黒人の権利を認めるんだ。わたしたちは、同じ人間じゃないか!」
アメリカ中の人々の心が一つになりました。
それは、非暴力が生んだ奇跡でした。

すべての人が平等であると認める『公民権法』がアメリカで成立しようとしていました。
キング牧師は首都のワシントンで夢を語りました。
「私には夢がある。
いつの日かジョージアの赤土の丘の上で かつての奴隷の息子たちとその所有者の息子たちが 兄弟として同じテーブルにつくという夢だ。」
気持ちのこもった演説は、人々の胸を打ちました。

翌年、公民権法が成立し、キング牧師にはノーベル平和賞が贈られました。
「これはわたしのものではない。すべての黒人がもらったものだ」
その後もキング牧師は非暴力の活動を続けました。
しかし39歳のとき、反対派の銃弾に倒れました。

それから40年、アメリカでは初のアフリカ系アメリカ人の大統領が誕生しました。
オバマ大統領です。
それでも、人種差別はまだなくなってはいません。
しかし、キング牧師の活躍があったからこそ、今に続いているのです。
「疑わずに最初の一段をのぼりなさい。階段のすべて見えなくてもいい。とにかく最初の一歩を踏み出すのだ」
あなたなら、どうしますか?

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